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大阪地方裁判所 平成2年(ワ)7787号 判決 1994年10月20日

原告兼亡上田菊子こと徐順文訴訟承継人

上田勝範こと

金勝範

徳原芳子こと

金芳子

上田勝治こと

金勝治

上田勝元こと

金勝元

右四名訴訟代理人弁護士

小田耕平

井上善雄

阪口徳雄

山本勝敏

被告

大阪東循環器病院こと

中橋正明

右訴訟代理人弁護士

米田邦

主文

一  被告は、原告兼亡上田菊子こと徐順文訴訟承継人四名に対し、それぞれ金二五〇万円及びこれに対する平成元年九月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

主文同旨

第二  事案の概要

一  争いのない事実等

1  当事者等

(一) 上田勝瑢こと金勝瑢(以下「勝瑢」という。外国人登録原票上の国籍・朝鮮)は、上田菊子こと徐順文(以下「順文」という。外国人登録原票上の国籍・朝鮮)の子として昭和二一年九月一三日に生まれ、中学校卒業後工員として稼働するなどしていたが、死亡する直前は日雇労働者であった(甲2)。

(二) 勝瑢は、平成元年九月一日、大阪市平野区加美西二丁目三番五号所在の大阪東循環器病院(以下「本件病院」という。)において死亡し(争いがない。)、順文が勝瑢を相続したが、順文は平成五年六月二五日死亡し、順文の子で勝瑢の弟または妹である原告兼順文訴訟承継人上田勝範こと金勝範、同徳原芳子こと金芳子、同上田勝治こと金勝治、同上田勝元こと金勝元(以下「原告ら」という。)が順文を相続した(甲2、弁論の全趣旨)。

(三) 被告は、本件病院を開設し、院長をしていた医師であり(争いがない。)、稲田良雄(以下「稲田」という。)、松井侯乃輔(以下「松井」という。)及び小川雅彦(以下「小川」という。)の各医師を雇用していた(弁論の全趣旨)。

2  治療経過等

(一) 勝瑢は、昭和五一年ころ離婚したことをきっかけとして、一旦飲みだすと一週間余りもの間食事を摂らずに日本酒を飲み続けるという病的な飲酒癖に陥り、大量に飲酒しては泉州病院などのアルコール中毒症専門病院への通院、入退院を繰り返しており(甲2)、本件病院には、昭和六〇年五月九日受診して以来六回入院し、急性膵炎、肝硬変、糖尿病及び狭心症の慢性疾患を有し十二指腸潰瘍等にも罹患していると診断されていた(争いがない。)。

(二) 勝瑢は、平成元年八月二五日または二六日ころから同月三〇日ころまで病的に飲酒し続けた結果、同月三一日午後五時ころ、吐き気と腹痛を訴え(甲2、弁論の全趣旨)、同日午後六時ころ、本件病院を受診した(争いがない。)。

稲田は、勝瑢を救急外来で診察し、その症状を急性アルコール中毒と診断した(甲3の2、乙1)。その後の勝瑢の症状等並びに稲田、松井、被告及び小川が勝瑢に対し施した措置等は、次のとおりである。なお、当日は、准看護婦の松下喜代美(以下「松下」という。)外一名の看護婦が当直として二九名の入院患者の看護に当たっていたが、主として勝瑢を担当したのは松下である(証人松下)。

(1) 来院直後

稲田は、勝瑢に対し、救急患者用の処置室において、導尿バルーンカテーテル及び点滴を施行した(争いがない。)。午後六時三〇分ころには胸痛及び吐き気がみられたため、ニトロールを服用させ、エリーテンを筋肉注射するなどした(甲3の2、乙1)。

(2) 午後七時ころ

勝瑢は、外来からストレッチャーに乗せられて運ばれ本件病院の二〇七号室に入院したが(争いがない。)、泥酔状態であり、その主訴を詳しく聞けないような状況であった(甲3の2、乙1、証人松下)。松下は、勝瑢の血圧を測定し、稲田の指示により、腹痛を抑えるためブスコパン一アンプルを筋肉注射した後、吐き気抑制のためキリット二〇ミリリットル及びエリーテン一アンプルを点滴した(争いがない。)。この間、勝瑢は、口渇を訴えジュースを飲みたい旨求め、松下が吐き気と腹痛があるので飲めないと説得するもなお執拗に要求し(甲3の2、乙1、証人松下)、午後七時四〇分ころには、点滴とバルーンカテーテルを抜去し、帰宅したいといって興奮状態になり、松下らの制止を振り切って便所へ行ったが、その際大声を出して徘徊するような状態であった(甲3の2、乙1、2の3、証人松下)。

(3) 午後八時ころ

大部屋である二〇七号室において、他の入院患者から苦情が出たため、勝瑢を空いていた二〇八号室に移したが、興奮状態は治まらなかった(甲3の2、乙1、証人松下)。勝瑢は、そのころアルコール離脱症候群の症状にあり(争いがない。)、興奮状態を鎮静する必要があったため、松下は、松井の指示により(甲3の2、乙1、証人松下)、セルシン一アンプルを点滴に加えた後、アタラックスP五〇ミリグラムを筋肉注射した(争いがない。)が、興奮状態に変化はなかった(甲3の2、乙1、証人松下)。

(4) 午後八時二〇分ころ

なお興奮状態が続くため、松下は、松井の指示により(甲3の2、乙1、証人松下)、一〇ミリグラムコントミン一アンプルを筋肉注射した(争いがない。)。

(5) 午後九時ころ

それでもなお、興奮状態は治まらず、ベッドの上で起き上がったり倒れるように寝たりするのを繰り返すうち、頭を打ったため、松下は、松井の指示により(甲3の2、乙1、証人松下)、ベンザリン二錠を経口投与し(争いがない。)、勝瑢がベッドから転落しないよう、上半身及び四肢を抑制した(甲3の2、乙1、証人松下)。

(6) 午後九時二〇分ころ

しかし興奮状態が続いたため、被告は(甲3の2、乙1、5、証人松下)、イソゾール一アンプルのうち四ミリリットルを注射し、残量を一時間に二ミリリットルの割合で点滴した(争いがない。ただし、右注射後点滴前に再度興奮状態となったか否かについて争いがある。)。その後、点滴及びバルーンカテーテルを再開し、心電図モニターによる監視を始めたが、頻脈であったため、ジキタリス一アンプルを半分ずつ点滴及び静脈注射した(甲3の2、乙1、証人松下)。その後、松下は、看護婦詰所において右モニターにより勝瑢の脈拍を監視し、ときおりその様子を直接確認した(証人松下)。

(7) 同年九月一日午前零時ころ

利尿のためラシックス一アンプルを点滴した(争いがない。)が、傾眠状態が維持され、呼吸も平静のまま推移した。点滴が漏れたため、いったん抜去し、右足に移した(証人松下)。

(三) ところが、午前一時五〇分ころ、脈拍が毎分六〇台となって、下顎呼吸、チアノーゼ、四肢末梢冷感が認められ、午前二時ころ、心臓及び呼吸が停止し、小川による心臓マッサージ等を受けるも午前二時二〇分ころ死亡した。この間、勝瑢の口腔、鼻腔から血液を含有する黒褐色の排液五〇〇ミリリットルが吸引された(争いがない。)。

3  医療契約の締結

遅くとも勝瑢に入院措置が取られた時点で、勝瑢と被告との間で、アルコール離脱症候群にある勝瑢に対し、少なくとも一晩経過を観察して興奮状態を抑制するための応急措置を施すことを内容とする医療契約が締結された(甲3の2、弁論の全趣旨)。

二  争点

1  責任原因

(一) 死因

(原告らの主張)

勝瑢は、平成元年八月三一日午後八時ころから午後九時二〇分ころまでのわずか一時間二〇分の間に、セルシン、アタラックスP、コントミン、ベンザリン及びイソゾールの五種類もの鎮静剤及び麻酔剤を重複して過剰に投与された結果、右各薬剤が相互に作用して呼吸抑制が生じ、呼吸が停止して死亡した。

(被告の主張)

(1) 勝瑢が鎮静剤及び麻酔剤の投与による呼吸停止により死亡したと断定することはできない。本件のイソゾールの使用量は呼吸抑制を必ず来す程ではないし、イソゾールにより呼吸停止に至るには、前提としてその麻酔効果が強く現れ、意識が消失していなければならないが、被告は勝瑢を傾眠状態のままで維持させていた。

(2) 勝瑢は、長期間大量に飲酒していたため、肝硬変、糖尿病、狭心症、十二指腸潰瘍等に罹患していたことからみて、肝障害ないし糖尿病により死亡したとも考えられ、とりわけ、本件入院後、勝瑢に強い腹痛がみられ、血液を含有する排液が吸引されたことから、消化管出血(食道静脈瘤破裂)が強く疑われ、勝瑢が右排液を誤嚥して呼吸停止に至ったとも考えられる。また、勝瑢は、腹痛を抑えるためニトロールを服用しているが、虚血性心疾患の死亡リスクは高く、心不全との関連も否定できない。鑑定によれば、勝瑢がアルコール性心筋炎を起こしたというが、この発症はまれであり、受診の際の胸痛が突然死の危険の高い狭心症の発作の徴候であったことを否定する根拠はない。

(3) さらに、本件当時、勝瑢はアルコール離脱症候群であったが、アルコール依存症でもあったから、本件を大量飲酒後誰にでもみられる単なるアルコール離脱症候群の一例として考えるのは不適当であり、アルコール依存症患者の重症離脱症状という観点から分析検討されなければならないところ、本件では、セルシンを静脈注射しても効かず、コントミン、ベンザリンなどを追加しても効果がなかったことからみて、単なるアルコール離脱症候群を超えた病態であったといえ、それ自体死亡する危険の高い振戦せん妄に入っていた疑いが強い。

(二) 過失

(原告らの主張)

(1) 勝瑢はアルコール離脱症候群であったのであるから、被告は、勝瑢の体内でアルコールが順調に代謝されるまでの間、呼吸抑制を防止し、重篤な低酸素症を来す前に適切な補助的措置をするほか、呼吸抑制の初期徴候を捉えて気管内挿管や酸素吸入を行うなど補助呼吸を行い、安全な状態に回復するまで気道を確保する措置を施す義務があった。

すなわち、アルコール離脱症候群は、通常、飲酒を止めてから七時間目ころから発症し、自律神経興奮(振戦、情緒不安、いらいら、徘徊、錯覚、失見当識)やアルコール性低血糖、アルコール性てんかん(痙攣)などを生ずる疾病であるが、同症状に対する治療として、振戦せん妄への移行を抑えること及びアルコール性低血糖や痙攣発作対策が必須であるところ、振戦せん妄への移行を抑えるためには、抗不安剤、睡眠導入剤の投与を行うが、その薬剤として一般にはマイナートランキライザーに分類されているセルシン、ベンザリンが使用される。しかし、これらは副作用として呼吸抑制を来す危険があるから、右のとおりの措置を講ずる義務があるのである。また、イソゾールなどのメジャートランキライザーは効果が期待されないのみならず、投与量が増えると呼吸抑制を来す危険が大きいので使用しないほうがよいとされている。

(2) しかるに、被告は、勝瑢がイソゾールを投与されて傾眠状態となるまでの間、トイレまで歩行できたほか順文にジュースの購入を指示してこれを飲むことができたように意識は明瞭であったにもかかわらず、一時的に体動を激しくしたためこれを鎮静化させることを急ぐ余り、前記のとおりわずか一時間二〇分の間に五種類もの呼吸抑制作用を持つ鎮静剤及び麻酔剤を投与したが、特に、イソゾールを一旦ワンショットで静脈注射した後、鎮静化を確実にするために続けて一時間あたり二ミリリットルを持続注入した。大量のアルコール摂取により肝機能が低下していた勝瑢においてはイソゾールは容易に分解されず連続投与の結果体内に蓄積されることは予測できたから、イソゾールを投与した段階で勝瑢が呼吸停止を来す危険のあることを予見し、この危険に対処するため気管内挿管等の気道を確保して右危険を回避すべき義務があったにもかかわらず、被告は、右義務を怠り漫然とイソゾールを持続注入した過失がある。

(被告の主張)

(1) 原告らは、被告が勝瑢を鎮静させるため五種類の薬剤を重複して多量に投与した旨主張するが、勝瑢が、点滴やカテーテルを抜去するなど暴れ、四肢を抑制した後も興奮状態が治まらない状況において、原告らの主張する気道を確保する措置を適切に施すことはできない。薬剤による鎮静化は不可欠であった。

特に、セルシン、ベンザリン等を投与しても効果がなかったのであるから、呼吸停止を来す副作用の危険を冒してでもイソゾールを投与しなければ、それ以上に危険な状態を放置することとなった。

(2) また、イソゾールをワンショットで注射した後、一旦興奮状態が治まったが、再度暴れだしたので更に投与することとしたのであって、当初から連続して投与することを予定していたのではない。その投与の方法にしても、イソゾールのワンショットを間欠的に繰り返す方法はしだいに麻酔効果を強め危険であるから、微量持続点滴を行ったのである。被告は、イソゾールを使用した全身麻酔の経験が豊富にあり、呼吸抑制が生じないように注意しながら投与したのであって、漫然と投与したものではない。

(3) 勝瑢は、アルコール中毒症専門病院への入院を重ね教育を受けてきたにもかかわらず、アルコール依存から脱却できず不摂生を重ね、連日の病的な大量飲酒の末に意識を喪失して本件病院に搬入され、応急措置を受けている中で急死したものであり、入院後の症状は鎮静のため薬剤を大量にかつ連続して投与しなければならない程のものであった。イソゾール持続微量注入中の患者の管理のあり方についても、本件病院クラスの医療施設の一般的な水準からみて要求される管理のレベルは満たされている。また勝瑢には順文が付き添っていたにもかかわらず適切な措置が取れない程急激に症状が悪化し、突然呼吸停止が生じたのであって、結果回避可能性もなかった。

2  損害

(原告らの主張)

(一) 逸失利益 五〇一六万〇二九八円

勝瑢は、死亡当時四二歳であったから、あと二五年就業可能であったといえ、昭和六三年当時、中卒の四〇歳ないし四四歳の男子労働者の平均賃金は年額四四九万四三〇〇円であるから、生活費控除を三〇パーセントとし(実子はなく、実母を扶養)、新ホフマン係数15.9441を用いて計算すると、勝瑢の逸失利益は、五〇一六万〇二九八円となる。

(二) 勝瑢の慰謝料 二〇〇〇万円

(三) 勝瑢の死亡による相続

順文は、勝瑢の被告に対する損害賠償請求権(七〇一六万〇二九八円)を相続した。

(四) 原告ら固有の慰謝料 各自一〇〇万円

(五) 弁護士費用 各一割

(1) 順文 七〇一万六〇三〇円

(2) 原告ら 各一〇万円

(六) 順文の死亡による相続

原告らは、順文の被告に対する損害賠償請求権(七七一七万六三二八円)を各自四分の一の割合で相続した。

よって、原告らはそれぞれ、被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づき、相続分の一九二九万四〇八二円と固有分一一〇万円の合計額である二〇三九万四〇八二円の損害賠償請求権を有することとなるので、それぞれ内金二五〇万円の支払いを求める(原告らは、明示的には、本訴請求を債務不履行に基づくものとしているが、その主張に照らせば不法行為に基づく請求も選択的にしているものと解される。)。

第三  争点に対する判断

一  責任原因(争点1)について

1  勝瑢の死因及び被告の過失の有無を判断する前提となるべき事実経過について、証拠(甲7の2、8の2、9の2、乙3、5、9、鑑定、被告本人)、弁論の全趣旨及び前記争いのない事実等によれば、次のとおりの事実が認められる。

(一) 松井は、松下に指示して、勝瑢に対し、平成元年八月三一日午後八時ころ、鎮静作用等を有するマイナートランキライザーであるセルシン五ミリグラムを静脈注射した上、中枢抑制作用を持つアタラックスP五〇ミリグラムを筋肉注射し、同日午後八時二〇分ころ、鎮静剤等の効力増強効果を持つコントミン一〇ミリグラムを筋肉注射し、同日午後九時ころ、睡眠誘導剤であるベンザリン二錠を経口投与した。しかし、勝瑢のアルコール離脱症候群による興奮状態が鎮静しなかったため、松井は、被告の診察を仰ぎ、右各薬剤を投与しても効果がない旨説明してその助言を求めた。これに対し被告は、松井とも相談の上、超短時間作用型の麻酔剤であるイソゾールを投与するしかないと判断し、同日午後九時二〇分ころ、呼吸抑制が生じないことのほか脈拍が毎分六〇以下にならないこと等を確かめながら、イソゾール一アンプル(五〇〇ミリグラム)のうち一〇〇ミリグラムをワンショットで静脈注射し、続いてインフュージョンポンプを使用して、一時間に五〇ミリグラムの割合でイソゾールを持続注入できるようセットし、勝瑢が翌日午前二時ころ心停止に陥るまでの間持続注入した。

(二) イソゾールを持続注入し始めてから、勝瑢は傾眠状態となり、呼吸等の状態が安定した。そこで、被告は、松下に看護婦詰所において心電図等のモニターにより勝瑢の状態を監視するよう指示したが、一旦頻脈症状を示したためジギタリスを投与してこれを抑え、その後、呼吸を含め、脈拍、心電図等状態が安定し、傾眠状態が維持されたので、一〇時三〇分ころ本件病院から帰宅した。

(三) 松下は、看護婦詰所において右モニターを監視するとともに、時々病室において直接勝瑢の呼吸状態等を確認していたが、勝瑢の呼吸は平静のまま推移していた。ところが、午前一時五〇分ころ、勝瑢は、急激に呼吸間隔が開き不整脈が生じ、午前二時には呼吸停止となって、心臓マッサージ等の応急措置のかいなく同二〇分ころ死亡した。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

被告は、右(一)の、被告はイソゾール一〇〇ミリグラムをワンショットで静脈注射し、続いてインフュージョンポンプを使用してイソゾールを持続注入したとの認定に関して、被告はイソゾールをワンショットで注射した後、一旦興奮状態が治まったが、再度暴れだしたので更に投与することとしたのであって、当初から連続して投与することを予定していたのではない、と主張し、被告本人も、九時二〇分ころにイソゾール一〇〇ミリグラムをワンショットで静脈注射した後、効果が現れて一旦は入眠状態になったが、二〇分ぐらいして再び暴れだしたので持続注入を開始したと供述するが、甲第三号証の二のうちの松下が記載した看護記録には、それ以前の段階は勝瑢の言動、状況及び医師、看護婦のした処置が一〇分ないし二〇分単位まで詳細に記載してあるのに、イソゾールの投与については、九時二〇分の処置欄に「イソゾール1A 2ml/h モニター開始」、同記事欄に「松井Dr特診されイソゾール4ml(s)后 2ml/hす 点滴開始」とだけ記載されていて、勝瑢が二〇分ぐらいしてから再び暴れだしたとの記載はなく、証人松下喜代美の証言からもそのような事実は窺うことができないから、被告本人の右供述は採用することができない。乙第五号証(被告の平成五年一二月二日付陳述書)も前記(一)の認定を覆すに足りない。

2  死因(争点1(一))について

(一) 証拠〔甲7の2、8の2、9の2、鑑定、証人内藤裕史(以下「内藤」という。)〕及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 勝瑢が投与された前記各薬剤の副作用等について、セルシンには、ときに舌根の沈下による上気道閉塞、呼吸抑制が生ずる副作用があることに加えて、アルコール並びにフェノチアジン誘導体及びバルビツール酸誘導体等の中枢神経抑制剤との相互作用があり、アタラックスP及びベンザリンには、バルビツール酸誘導体等の中枢神経抑制剤との併用、または飲酒により相互に作用を増強する特質があり、うちベンザリンにはまれに呼吸抑制を来す副作用があり、コントミンにも、バルビツール酸誘導体・麻酔剤等の中枢神経抑制剤との併用により相互に作用を増強する特質がある。また、イソゾールには、特に強い呼吸停止の副作用があり、正常人に対しワンショットで二〇〇ミリグラムを静脈注射すると呼吸停止が起こる。コントミンはフェノチアジン誘導体、イソゾールはバルビツール酸誘導体の中枢神経抑制剤である。

(2) セルシンは半減期が四三時間と長い上、肝臓で代謝されるため、肝機能に障害のあった勝瑢においては半減期が更に長く、また、ベンザリンは経口投与されており、本件における薬効の発現は遅い。

(3) 傾眠状態においてイソゾールの呼吸停止の副作用が発現することはないが、傾眠状態で推移していても急激に意識が消失して右作用が生ずる危険がある。

(二) 前記1(一)認定によれば、勝瑢に投与されたイソゾールはワンショット分と持続注入分を合わせて三三〇ミリグラムを越えていたものと認められるところ、証拠(鑑定)によれば、これだけでは呼吸停止を来す危険はないと認められる。しかし、前記1(一)及び2(一)認定の事実を総合すると、勝瑢にセルシンを投与してからイソゾールを投与し始めるまで一時間二〇分経過したのみであるから、セルシンの半減期が長いこと及び経口投与されたベンザリンの薬効の発現が遅いことに鑑み、勝瑢にイソゾールが投与されたことにより、これとセルシン及びベンザリンとが併用された関係にあるということができ、しかも、勝瑢は特に呼吸抑制作用の強いイソゾールを持続注入されている最中に呼吸停止を来し死亡したのであるから、勝瑢は、イソゾールを持続注入されるうち、イソゾールとセルシンまたはベンザリンとの相互作用により急激に意識を消失し呼吸停止を来し、その結果死亡したものと推認することができる。

(三) これに対し、被告は、肝障害、糖尿病、狭心症ないし消化管出血又は振戦せん妄による死亡の可能性を主張する。

(1) しかし、証拠(甲10)及び前記争いのない事実等によれば、勝瑢は、肝障害及び糖尿病を患っており、アルコール依存症患者が右各疾病により死亡する危険性が高いことは認められるものの、前記のとおり、イソゾールと相互作用を有するセルシン等を投与した後、その薬効が持続しているうちに特に呼吸抑制作用の強いイソゾールを持続注入している最中に呼吸停止となったという本件の状況に鑑みれば、右事実は前記推認を左右するものではない。

(2) また、証拠(証人内藤)及び前記争いのない事実等によれば、勝瑢は狭心症を患っており、本件受診の際胸痛を訴えニトロールを服用したこと、本件において心筋梗塞が突然生ずる可能性は否定できないことが認められるが、他方、前示本件の状況に、ジキタリス注入後午前一時五〇分まで脈拍は正常のまま推移したこと(甲3の2、乙1)を併せ考えると、右事実は前記推認を左右するものではない。

(3) 次に、前記争いのない事実等のとおり、死亡する直前心臓マッサージを受けていたころ、勝瑢の体内から血液を含有する五〇〇ミリリットルの排液が吸引されたが、証拠(証人内藤)によれば、右排液は、死亡直前の状態にあった勝瑢が心臓マッサージを受けたことにより胃の内容物を逆流させた可能性が高いと考えられ、これを誤嚥して呼吸停止が生じたとは認め難い。

(4) さらに、勝瑢が振戦せん妄に陥っていたと認めるに足りる証拠はない。

3  過失(争点1(二))について

(一) 証拠(甲4、8の2、10、乙8、9、鑑定、証人内藤、被告本人)によれば、次の事実が認められる。

(1) アルコール離脱症候群の治療にあっては振戦せん妄への移行を回避することが必須であり、患者が興奮状態を示している場合には、抗不安剤、睡眠導入剤を投与して鎮静化を図るべきであるが、そのための薬剤としてセルシン、アタラックスP、コントミン、ベンザリン及びイソゾールのいずれも効果がある。

(2) 被告は、イソゾールを使用して全身麻酔を施した経験が豊富であり、幼児の先天性心疾患手術の術後管理としてイソゾールを持続注入した経験もあり、そのうちには、人工呼吸器を施行せずに必要最少量を注入し、呼吸抑制の副作用を生じさせなかった症例もあった。

(3) 被告は、本件において、イソゾールを注射する前に、松井からセルシン、アタラックスP、コントミン、ベンザリンを既に投与したこと並びに投与量及び投与した時刻について説明を受けていた。

(4) イソゾールの麻酔作用を維持する方法として、持続的に注入する方法と間欠的にワンショットで注射することを繰り返す方法とがあるが、ともに体内に蓄積して呼吸抑制が生ずることのないよう、持続注入においては必要最少限度に限らなければならず、ワンショットにおいては、間隔を開け、投与量を漸減しなければならない。

(5) イソゾールを使用する際、その投与前に酸素吸入器、吸引器具、挿管器具などの人工呼吸のできる器具を手元に準備しておくことが望ましく、投与中は気道に注意して呼吸、循環に対する観察を怠ってはならない。

(6) 本件病院には、集中治療室もあり、人工呼吸器、気管内挿管器具が備えられていた。

(二) 以上の事実を前提に、鑑定人内藤裕史の鑑定の結果、同人の証言に徴すると、勝瑢は、セルシン、アタラックスP、コントミン、ベンザリンを投与しても興奮状態が治まらない程の重症のアルコール離脱症候群の状態にあったのであり、鎮静化は不可欠であったから、イソゾールには傾眠状態で推移していても急激に意識が消失して呼吸停止が起こるおそれがあるなど特に強い呼吸停止の副作用があるものの、被告がいわば最後の手段として、その使用を選択したこと自体は、やむを得ないというべきであるが、被告は、勝瑢に対し既に同日午後八時から九時までの間にセルシン五ミリグラム、アタラックスP五〇ミリグラム、コントミン一〇ミリグラム、ベンザリン二錠が投与されていたことを認識していたのであり、その上で更に、それから二〇分後に、傾眠状態で推移していても急激に意識が消失して呼吸停止が起こるおそれがあるなど特に強い呼吸停止の副作用のあるイソゾールを投与するのであるから、被告としては、イソゾール単独の作用のみならず、イソゾールが右セルシン等の薬剤との相互作用により急激に意識消失を生じさせる危険があることを予測してより慎重な呼吸管理をなすべく、イソゾール一〇〇ミリグラムをワンショットで静脈注射した後、勝瑢の全身状態を観察しつつ(脈注射であるためイソゾールの効果は数分以内に現れる。)、再び勝瑢が興奮状態になった場合には更に五〇ミリグラムをワンショットで静脈注射することを繰り返すべきであり、持続注入する方法を選択するのであれば、勝瑢が完全な意識消失に陥った段階で気管内挿管をして人工呼吸器を使用すべきであったにもかかわらず、被告は、ワンショットで一〇〇ミリグラムを静脈注射した後、漫然と、続いてインフュージョンポンプを使用して一時間に五〇ミリグラムの割合でイソゾールを持続注入できるようセットし、松下に看護婦詰所において心電図等のモニターにより勝瑢の状態を監視するよう指示するにとどまったのであって、このようにイソゾールをいわば機械的、自動的に持続注入する方法を選択しながら、気管内挿管をして人工呼吸器を使用することを怠った過失があるというべきである。そして、右過失がなければ、勝瑢は呼吸停止により死亡することはなかったものと認められる。

被告は、イソゾールのワンショットを間欠的に繰り返す方法はしだいに麻酔効果を強め危険であるから、微量持続点滴を行ったのであると主張し、被告本人の供述中にはこれに沿う部分があるが、被告は、前示のとおりインフュージョンポンプの使用によりイソゾールを一時間に五〇ミリグラムの割合でいわば機械的、自動的に持続注入できるようセットしたのであり、その勝瑢死亡までの投与量は持続注入分だけでも二三〇ミリグラムを超えていたのであるから、右主張は採用できない。

また、鑑定人の証言中には、前記のような気管内挿管、人工呼吸器の使用について、そのような処置をすることは一般の開業医には技術的に無理であるとの趣旨を述べる部分もあるが、本件病院は、少なくとも二九名の入院患者を収容していた病院であって、一般の開業医とは言い難く、集中治療室もあり、問題の人工呼吸器、気管内挿管器具も備えており、被告自身もイソゾールを使用して全身麻酔を施した経験が豊富なのであるから、前記のような処置を施すことを求めても無理を強いることにはならないというべきである。

二  損害(争点3)について

1  逸失利益

前記争いのない事実等のとおり、勝瑢は、中卒で死亡当時四二歳の日雇労働者であって、本件事故により死亡しなければ六七歳までの二五年間稼働可能であり、その間に昭和六三年賃金センサスにおける小・新中卒の四〇歳から四四歳までの男子労働者の平均賃金年額四四九万四三〇〇円を基礎に計算した額の収入を得られたと推認することができる。そして、その間の勝瑢の生活費控除割合は五〇パーセントとするのが相当であるから、これらを基礎に中間利息を新ホフマン式で控除する方法で勝瑢の逸失利益の現価を求めると、左記の計算式のとおり、三五八二万八七八四円(一円未満切り捨て)となる。

4,494,300×(1−0.5)×15.9441≒35,828,784

新ホフマン係数15.9441

2  勝瑢の慰藉料

勝瑢の経歴、職業、本件治療の経緯に加えて、とりわけ本件に至るまでにも勝瑢はアルコール依存症専門病院において治療及び教育を受けていたにもかかわらず過度の飲酒を続けていたこと等本件審理に現れた一切の事情を考慮すると勝瑢固有の慰藉料は一〇〇〇万円であると算定するのが相当である。

3  原告ら固有の慰藉料

本件において勝瑢の慰藉料とは別個に原告らに固有の慰藉料請求を認める必要性があるとはいい難い。

4  損害の公平な分担

前記2に掲記した事情に加えて、勝瑢は重篤な肝障害、心疾患、糖尿病ないし十二指腸潰瘍等に罹患していたが、これらは同人の長期間かつ大量の飲酒に起因するものであると推察されること、本件のアルコール離脱症候群も同人の過度の飲酒によるものであって、死亡の結果には勝瑢の飲酒が相当程度寄与したというべきであること等諸般の事情を考慮すると、損害の公平な分担の見地から、勝瑢の死亡に基づく全損害四五八二万八七八四円のうち被告に賠償責任を負担させるのはその三割に当たる一三七四万八六三五円(一円未満切り捨て)とするのが相当である。

5  弁護士費用

順文及び同人を承継した原告らが、本訴の提起、追行を本件訴訟代理人らに委任したことは、本件記録上明らかであるところ、本件訴訟の審理経過、事件の難易、認容額等を考慮すると、本件と相当因果関係のある弁護士費用は、一〇〇万円と算定するのが相当である。

6  以上によれば、順文が勝瑢を相続し、原告らが順文を各自四分の一の割合で相続した結果、原告らはそれぞれ、被告に対し、三六八万七一五八円(一円未満切り捨て)の不法行為に基づく損害賠償請求権を有すると認められる。

第四  結論

よって、原告らの請求を認容することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官水野武 裁判官古久保正人 裁判官松田典浩)

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